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2010年5月22日 (土)

読んでくれている方はいるのかな?

去年の8月7日以来の更新です(; ̄ー ̄A アセアセ・・・

 

 さてあまりにも久しぶりの更新で以前書いたことなどすっかり忘れているので重なってしまうかもしれませんがいろいろと書いてみようかと思います。

 

 いつからおかしくなったのかはよく覚えて無いですが3年前の3月末にうつ病を診断され以前働いていた会社を休職することとなりました。

 当時は職種は製造業だったのですがその会社でほぼ一人ですべての工程をこなしていたのですが価格競争のあおりとでも言うのでしょうか、薄利多売にその会社も走って行ったのですがもともと一人でこなすにはかなりきつい量の仕事がありました。

 そんな状況でも仕事量は増やされ当然残業も増え、挙句の果てには今までしていなかった事務仕事までやらされるはめに・・・

 その他いろいろあったのですが結局はうつ病になり休職、休職期間中によくなることも無く平成20年2月にその会社は退職となりました。

 その後1年ほどそのまま自宅療養で過ごしていたのですが主治医から就職の許可を得たのですがあろうことかリーマンショックで大不況に陥っている最中で就職もなかなか出来ませんでした。

 ここら辺の部分が以前のブログに書いていたところだとは思うのですがもう自分がどうだったかもよく覚えておりません

 

 その後9月ごろですかね、知り合いの紹介ではじめはルート配送のドライバーとして運送業につく事が出来たのですがカーナビになれすぎたせいなのか歳のせいなのか、道が覚えられず、また教えてくれる人も毎日違ったりして、ある日うつ病がひどくなってやめることとなってしまいました。

 その後その時の上司の方がドライバーがダメならと助手のお仕事を紹介してくれて何とか職にはありつけていたのですが、時間帯が午前2時半から正午ぐらいまでの仕事で体力的にはかなりハード、しかも金銭面的にも生活していけないレベルで再び壊れ始めて今度はあろうことか家族に厳しく当たる事が多くなってきました。

 そして、金銭面できついのは確かなのでおくさんがバイトに出てくれたのですがその時間が娘が幼稚園から帰ってきてから・・・

 当然、その後の面倒は私が見なくてはいけなくなりました。

 そのことで私の睡眠時間は削られることに

 その時仕事が辛いところには随分となれてきていたのですが体力的にはまだまだ、収入が少なくしかも家族に辛く当たっている事が自分にはどうしようもなく嫌で何とか娘と接する時間を少なくしたくておくさんに仕事をやめてもらおうと思ったのですが、話さえ聞いてもらえず喧嘩に・・・

 その時、私のおくさんは親が喧嘩しているところを子供に見せたく無いと言うことしか思い浮かばなかったらしく夜だと言うのに娘を外に追い出そうとする始末で話し合いにもなりません。

 

 そしてついには手を上げることになってしまいました。

 

 そのことにはいまだ反省していますがそうしないと話すら聞いてもらえなかったので仕方なかったとも思っています。

 それが大体12月の中ごろだったでしょうか

 そして何とかバイトはやめてもらう事が出来たのですが今度は逃げるかのように娘が冬休みに入った25日から実家に年内は帰ると言い出していました、24日25日は私は休みの予定だったのですが・・・

 私もずっと仕事だったので仕方ないとは思ってしまう部分はあるのですが、そんなときに少しでも支えてほしかったと思ったことも事実です。

 そして、実家に帰るはずの前日のクリスマスイブの日・・・

 私自身は年賀状も作っていないし、娘を連れて少し買い物にもと思ってはいたのですがもう少し寝たくて二度寝に・・・

 おくさんが洗濯物を干しに着たので目が覚めてしまうと、おくさんがいきなり「年賀状買っちゃったんだからなんでもいいから作ってよ」と頭ごなしに言い出しました。

 私はもともと作る気でいたのですが自分が逃げるのにその言い方はと思い喧嘩に・・・

 そしておくさんから「じゃあどうしたいの?」と怒鳴られたのでもう本心から「死にたい」といってしまいました。

 そうしたらおくさんはとめるどころか「今まだ有難う、これからは娘と2人で生きて聞くから好きにして」と・・・

 

 そういってその場からおくさんが去ったあとベランダから首をつって死のうと・・・

 

 未遂に終わったので今生きているのですが、正直死にたかったです。

 その後救急車で救急病院に搬送されましたがその病院には精神科は無く、手術の必要なほどの骨折でしたが添え木のみでうつ病で通院していた病院にめでたく入院です。

 

 骨折の手術も本来ならすぐしなくてはいけなかったのですが、救急で搬送された病院に紹介されたところでは断られ、断られたところに紹介されたところでは病床が空いていず1ヶ月が経ってしまいました。

 その頃には精神的に落ち着いてきていたのでめでたく一番初めに搬送された病院で手術をしてもらう事が出来ましたが、手術するまでの時間が経ちすぎていたためかすでに4ヶ月は過ぎようとしていますがいまだに足首の内側の骨のつきは良くありません。

 チタンのボルトで固定されているので生活には問題ないですけどね。

 

 といろいろあって今年2月末ようやく病院を退院したのですが、入院している間におくさんと娘は実家に住所を移し、歩くこともうまく出来ない状態で別居、一人暮らしスタートです。

 娘はお父さんが二階から落ちてきた瞬間を見ていたようなのでこの家に居れないと思うのは仕方ないですけどね。

 

 で、今ですがその後おくさんの実家の方で娘は小学校に入学しました。

 入学式には出席することはできましたが

 

 入院中私は外でなにがおきていたのかはほとんど知らないのですが(精神科なのである低で情報が規制されていました)私の姉や兄にいろいろとひどいことを言われたらしいのですが、その後私とのやり取りと言うより喧嘩していて思うことは自殺未遂を起こす前からおくさんとして支えてくれていたのだろうかと思うようになりました。

 今思えば前職を休職しなければならなくなった時点で実際には保険などもらえていて生活は出来ていたのですが、収入が無くなったわけですから娘の幼稚園がどうのとか言っている前に生活の支えになることをしなければいけなかったのでは?

 今でもそうですが結婚前に持っていたお金なので確かにおくさんのお金ですがこんな状況になってもまだ「自分のお金」「あなたのお金」といっています。

 私は結婚する前から持っていたお金を使って家やおくさんように車も購入したのですけどね。

 結婚って、夫婦ってこんなものなのでしょうか?

 かなりショックです

 幸いにも今は一人暮らしなのでいいのですが、メールのやり取りなどしているといまだ腹立たしい事が何度もあったりします。

 

 それでも娘がいるので娘のためには何かしないとと思う部分はありますけどね。

 

 それもおくさんとのやり取りをしていると私には何も期待していないようなのでいいのかなって思ってしまう部分がかなり・・・

 

 そんなやり取りは今も続いていますが・・・

 

 そんな中、娘の小学校への入学式を堺に主治医からの許可も頂、再び就職活動開始しました。

 まぁ、当然すぐ見つかるはずも無く何度も面接に行ってようやく派遣の仕事が決まりました。

 来週の水曜日からなのですが、いまだ半信半疑、しかも7月末までその後業績により2ヵ月後との更新というお仕事なので不安はいっぱいです。

 残業、休出等たくさんあるみたいなので頑張って稼いでまずはおくさんのお義父さんから借りているお金を返さないとですね。

 実際には貯金がまだあるので返そうと思えばすぐ返せてしまうのですが、それは手をつけずに働いて返しましょ。

 で、次にこれまたおくさんにいったらなに言われるかわかりませんが故障と金欠が重なって車検を切らしてしまった車の復活のためにも稼ぎたいと思います。

 現状おくさん用に購入した軽があるので足には困っていないのですが、生活に張り合いが無いので(; ̄ー ̄A アセアセ・・・

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